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なるようになるさ

腎臓病体験記~大学生活~

大学では一気に腎機能が悪化しました。ただ後悔はしていません。それだけは確かです。ちなみに大学入学時のクレアチニン値が2.0mg/dL程度で卒業と同時に腎移植しました。要するに4年間でクレアチニン値が約5mg/dL増加した事になります。

 

両親は家から通える大学に通学して欲しいと思っていたようですが、持病があっても自活できる能力は身につけないといけないと考えていたので、私は一人暮らしをしたいと考えていました。そのため地元の薬学部はレベルが高いから受かるか分からないと言って、隣県の薬学部を受験し進学しました。

 

大学生活は、大学の事を人生の春休みと比喩する人がいるのが分かるくらい楽しかったです。講義後に友人とおしゃべりしたり、サークル活動したり、飲み会したりと本当に楽しかったのを覚えています。ただ、環境が完全に新しくなり持病の事を言うきっかけがなく大学4年になるまでカミングアウトできませんでした。カミングアウトする事で遊びに誘われなくなることが嫌だったのかもしれません。誘われるまま遊んでいたので腎機能は低下する一方でしたが、全く後悔はしていません。腎機能を気にして遊びを断っていたら、例え腎機能が低下しなかったとしても絶対に後悔していたと思います。その時できた友人とは今でもたまに遊んでおり、一生の友人ができた時期でもありました。

また、大学では癌サバイバー、肝炎キャリアの人もいて、持病に悩んでいる人は自分だけでは無いと悟った時代でもありました。

 

大学4年になり薬剤師として就職すべく様々な薬局を見学していたのですが、iPS細胞の記事をたまたま読み、iPS細胞に多大な可能性を感じ、自分も再生医療の研究をしたいと思うようになりました。どうせ研究するなら最高の環境で研究したいと思い在籍していた大学よりもレベルの高い大学の修士課程に進学しました。大学時代の成績は下から数えた方がはるかに速い方でしたが、なぜか合格し、再生医療を研究するために別の大学院に進学する事になりました。そして入学前に一度目の腎移植を受けました。

 

大学入学当初の薬剤師になるという目標はここで終わりを迎えました。

腎臓病の発覚~高校生活

中学2年の頃に逆流性腎症と診断された事で自分の人生が大きく変わったと思います。

 

・地元への帰郷

腎臓病と診断される2年ほど前(小学6年)に父親の都合で地元から引っ越していました。引っ越し先で高校進学する予定でしたが、父親が会社と交渉して中学3年で地元に戻る事になりました。引っ越し先で高校に進学していたら今の人生とは大きく違ったと思います。

 

・高校進学

高校を選択する上で優先した事は家からの近さでした。一番近い高校は自分の成績と乖離があったので、2番目に近い私立の特待クラスに進学しました。かなり厳しい高校で当時は進学した事を後悔したのを覚えていますが、今思えば悪くはなかったかなと思います。

そもそも、親族に大学進学した人がほとんどおらず、高校卒業したら働くのが普通と思っていたので、健康であれば商業高校か工業高校に進学していたと思います。それが博士号まで取得してしまうとは人生は本当に何が起こるか分かりません。ちなみに当時の将来の夢は電車の運転手でした。

 

・大学進学

大学進学は本当に悩みました。腎臓病があっても自活できる収入を確保するために資格を取得した方がいいと思っていましたが、親戚の知り合いに薬剤師がおり、薬剤師であれば体に負担をあまりかけずにそれなりに収入がある、という話を聞き、高校3年の頃に薬学部を目指す事を決めました。それまで勉強をほとんどしておらず、偏差値は全く足りていませんでした。結果、1年浪人して公立大学の薬学部に進学しました。この選択は本当に正解だったと思っています。

 

 

また、生活面では食事の変化が大きかったです。世の中に出回っている低たんぱく食は美味しくありません。特に白米の代替品は本当に美味しくなかったのを覚えています。一方でパスタ・パン・カップ麺はまだマシでした。母親が工夫してくれたので何とか続けられましたが、母親は自分用の食事と家族の食事を別で作っていたので本当に大変だったと思います。

(腎臓病の食事についても海外の論文などを紹介し、本当に効果あるのか、といった事についてもいずれ紹介したいと思います。)

 

腎臓病が発覚した時はクレアチニン値が1.4~1.5 mg/dLくらいで、高校卒業する時が2.0 mg/dLくらいだったと思います。それくらいでは自覚症状もほとんどなく、高校の体育も問題なく取り組めており、同級生と放課後にサッカーを楽しんでいました。

 

色々と大きく変化したのは大学進学で一人暮らしを始めてからでした。

腎臓病の発覚に至るまで

私の腎臓病が発覚したのが中学2年の冬でした。今でも当時の事を鮮明に覚えています。

腎臓病が発覚するまで学校を一度も欠席する事もなく健康優良児だと本人だけでなく周囲も思っていたはずです。

 

症状が出始めたのが中学1年でサッカー部に入部してしばらく経ってからでした。サッカー中に頻脈が発生しひどい眩暈が生じました。ただ、呼吸を整えると頻脈がすぐ収まるためしばらく放置しました。

また、足の親指の付け根が強く痛む事もあったのですが、部活で痛めたのだろうと考えていました。後で分かった事ですが、腎臓が障害され尿酸の排泄量が低下したことによる痛風の発作でした。

 

そんな症状が度々生じていたのを無視して1年くらい経った後、サッカーの練習試合で頻脈とひどい眩暈が生じて倒れました。その後、すぐ病院に行ったところ、クレアチニン値が1.4 mg/dL超で緊急入院する事になりました。

その後、精密検査を実施し逆流性腎症と診断され、闘病生活が始まりました。

 

ちなみに、中学校では尿検査があったもののタンパク尿は陰性でした。恐らく逆流性腎症を発見するのに向いている検査ではないのでしょう。IgA腎症や糸球体腎炎、ネフローゼ症候群などの疾患であれば比較的早期に発見できたと思います。

自己紹介

中学生の頃に腎臓病が発覚してから早20年、2度の腎移植を経験しました。

今は製薬会社の研究職で働いていますが、製薬会社の研究が実を結び薬になるのは極わずかであり、このままだと社会に何も貢献できないんじゃないかという不安に襲われています。

そんな中で色々と考えた結果、自分自身の経験や知識を発信する事で世の中のだれかのお役に立てればと考えこのブログを作りました。

 

ヘルスケア系の企業の方に役に立つかもしれない情報として私のペイシェントジャーニーや患者の悩み、同じ病気で苦しむ方には何か役に立つ情報の提供や悩みの共有ができればと考えています。

 

更新はマイペースだと思いますが、気が向いた際には読んでいただければ幸いです。完成度にこだわりすぎると自分の性格的に更新がめんどくさくなってしまうので稚拙な文章になるかと思いますがご容赦ください。